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プレーワーカーズ代表挨拶

弊社のルーツは、「特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会」による東日本大震災被災地復興支援事業がスタートです。詳しくは別頁(私たちの前史)をご覧ください。始まりから今日に至るまで、全国また海外の個人、団体、企業の尊いご協力無くして、被災地の子どもに遊びを届ける活動は存在できなかったのですから、皆様への感謝の念に堪えません。

皆様の願いを遊び道具と一緒にプレーカーに詰め込んで、その願いと共に被災地を北へ南へ走り回る5年間でした。

それは被災地の変化を見続ける5年間でもありました。もうずいぶん前の事ですが、明かりの無い真っ黒な夜に初めて信号機がぽっと点いていた時、一時停止の必要も無かった草ぼうぼうの錆びた線路を再び走り始めた電車の音が聞こえてきた時、一隻の船も無かった港に初めて船を見た時の、嬉しい気持ちをよく覚えています。今後は遠方から駆けつけた者としてではなく、東北に根を下ろし活動していくこととなります。どうぞよろしくお願いいたします。

さて、大人は「今時の若者は…」と言ってきたのと同様に「今時の子どもは遊ばない」と代々言い続けてきました。そう言われると私自身どれだけ遊んで来たのか揺らぐことになります。少なくとも私の父親世代ほどには遊んで来なかったことは、父から聞いた父の子ども時代の話から明白です。私は父ほど激しく遊んで育ってはいません。ですが私は自分では子ども時代たくさん遊んだと思っています。そして私から見て今の子どもはすっかり遊んでいません。ところが大学生と話すと「子どもの時たくさん遊んだ」と言います。では「遊ぶ」って何でしょう?なぜ全然遊んでないはずの「今時の子ども」も「遊んでる」と言うのでしょう?

「遊ぶ」の大前提として、その行動が自発的・自主的であるかということがあります。やりたくもないのにやっている、やらされていることは「遊ぶ」とは言いません。むしろ自発的・自主的であるなら、どんな行動であっても「遊ぶ」の範疇であると思っています。ですから、「今時の子ども」が自主的・自発的に、例えばコンピューターゲームをしているのなら、それはその子にとって「遊ぶ」に他ありません。ですから今時の子どもも彼らなりに確かに遊んでいるのです。つまり私が、今の子どもはすっかり遊んでいないと思うのは、私のイメージにある子どもの遊び方を今時の子どもがしていないだけ、ということです。大人は代々「今時の子どもは私のイメージのように遊ばない」と言い続けてきただけなのです。

ではなぜそんなことになったのでしょう?子どもは昔から、自分をとりまく様々な環境の変化に対応して遊びを変化させていました。大人は代々、子どもをとりまく環境の変化に鈍感なものでした。ところが子どもの遊びの変化には気がつきやすかったのです。それは全ての大人が、子どもだった経験を持っているからです。「遊ぶ」という、比較できる共通項を持っているからです。遊びの変化を見つめることは、環境を見つめることです。皆さんの身近にいる子どもの遊びはどうですか?豊かだと思われるのでしたら、きっと子どもは豊かな環境の中で生活していることでしょう。貧しいと思われるのでしたら、きっとどこかに課題があるはずです。

私たちプレーワーカーズは、子どもの遊びがとても貧しい状況にあると考えています。そしてそれは子どもの力では解決できるものではないと考えています。「環境」などと言うと、漠然としたとても大きなものに感じてしまいますがそんなことはありません。皆さんの一番そばにいる子どもと、その子の横にいる友だちが今より少し楽しくなるように考えればいいのです。

私たち大人がそれぞれ持っている様々な立場、・役割から子どもの環境をより良くするよう協力していきましょう。

一般社団法人プレーワーカーズ 代表理事 須永力

 

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